![]() | ファッションの二十世紀 (集英社新書 466B) (集英社新書 466B) 横田 一敏 集英社 2008-10-17 売り上げランキング : 36952 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ファッションの歴史本が新書で登場。それが本書『ファッションの二十世紀
<目次>ヴィトンやカルティエの権威付けをしたウジェニー皇后から、最近の ファストファッションブームあたりまでの流れがまとめられています。 昔は高級で高尚だったブランドやメゾンが、時代の流れとともに大衆化 してきているのがとてもよくわかります。時代を経るごとに、芸術とファッションが乖離し、ファッションとサブカルチャー(アンダーグラウンド)が接近しているのも興味深いのですが、そんな現在のファッションを筆者はこう嘆いています。
一八五三年の物語 ノートルダムの祝祭
一八七五年の物語 ショゼダンタンの四つの石像
一九〇〇年の物語 シャトレの歓声
一九二一年の物語 エッフェル塔の電波
一九三五年の物語 ル・アーブルの船影
一九四四年の物語 リヴォりの花束
一九六三年の物語 ナシオンの遠雷
一九七三年の物語 クレーベル大通りの大広間
一九八五年の物語 ルーブル中庭のテント
一九九一年の物語 プランタン百貨店の金属探知器
ファッションが大衆化し巨大な産業になってからというもの、売れれば 成功と考えるデザイナーが多くなるにつれ、その人の生き様や豊かな社会を感じさせる巧みな洋服が少なくなったと感じることは多い。 境界線がなくなりすべてが同質化することで、これまで階層に 分かれていたファッションがどこか掴みどころのないものになって しまっている。悪くいえば、なんでもありのスーパーマーケットの賑わいを呈しているのが、今のパリやミラノコレクションということもできる。
民主化ではなく大衆化という言葉を用いるあたり、著者の否定的なメッセージを感じますが、その同質化の最先端をいっているのが日本だと思います。ファッションが、芸術、上流階級、高尚というものから程遠い、サブカルチャーやアンダーグラウンドと、年々、親和性を高めていますよね。ギャル・お兄系ブームの根底にはヤンキー思想、ゴスロリの背景にはサブカルチャーがあるのはいうまでもなく、最近は「アニメ・マンガ」「かわいい」といった「幼児性の強い」ものまで取り入れているデザイナーやブランドもあるくらいです。ヨーロッパでは貴族の嗜みだった、高尚だったはずのファッションが、日本では、ここまで裾が広がっているのですね。良くも悪くも、階層どころか、大人や子供も関係ありません。そして、それが「cool」「kawaii」と外国でもウケているのです。
ファッションは時代の風をはらんで進化する。変わらないものや過去の 焼き直しをそのままに表すことはひとつのスタイルとして流行したとしても、それはファッションではない。今のパリコレクションがまるでスーパーマーケットのようだといわれるのは、そうしたクオリティーの高さや革新性のないメーカーとメゾンが重なり合っていることに端を発している。チープな洋服の中には芸術の豊饒さは生まれないし、革新性をもちえない洋服に未来を開く力はない。
著者の主張はとてもよくわかりますが、ここまでファッションが細分化&大衆化し、リアルクローズ全盛の今、芸術性を高めろ、高級スーパーに戻れ、というのは時代の流れと逆行していますよね。むしろ、パリコレなどからトップダウンで広がるファッションではなく、ストリートから横に広がってくファッションの中から、次世代の革新的なスタイルが生まれる様な気がします。ファッションが大衆化したのなら、未来を開くのも大衆でしょう。そして、その時代の空気をデザインとして紡ぐデザイナー、ブランド、メゾンもまた、大衆によって自然と淘汰されていくのではないでしょうか。


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かつてのようなヒエラルキーが瓦解しつつあるときに、往古の「芸術」にすがってもそれはただのボヤキにしか聞こえません。