そんなに難しく考えなくても、ファッションを 楽しまないと、自分自身をもっと磨くべき、と記事を 読んで、皆さんは思うかもしれません。でも、 k-d-hideさんは古着屋も利用されているようなので、 それなりにおしゃれを楽しんでいるし、服そのもの も好きなんだと思います。努力もされています。 難しく考えてしまうのは「知識」でおしゃれに取り 組んでいるからでしょう。
私も同じ「知識」重視でファッションに取り組む者として k-d-hideさんのお気持ちがよくわかります。知識でセンスを カバーしようと必要以上に頑張ると、知識を得ては理想と 自分が離れていく、という悪循環に陥るというあれです。
「この4年間脱ヲタ道を邁進してきたけど、 どうも限界を感じつつある。」と今回k-d-hideさんが ロールモデルに設定したのが栗野宏文氏と藤原ヒロシ氏。 これは、どう考えても「脱オタ」というレベルを遥かに 超えていますよね。おそらく、あえて脱オタ論の極論を 書かれているでしょうし、「ライフスタイルが 宿っていないファッションは洒落者(ロールモデル)の コスプレでしかない」という点にも異論がありません。 「30代からのファッション」という点を鑑み、 「定番(クラシック)」をテーマに選んだのも妥当な 選択だと思います。
ただ、私が言いたいのは、壁の突破の仕方は 「ライフスタイル」だけではない、ということです。
世界のはて - 「ライフスタイルの表現」は、「脱オタファッション」の射程外
個人的には、「ライフスタイルの表現」というものは、 「お洒落」の1つの形式でしかないと思っています。 「誰がなんと思おうとそれでもやる!」という気合を 求められるのが、「ライフスタイル」を中心に置いた ファッションなのではないかと。外見よりも、 思想重視。だから、「ライフスタイルの表現」が イコール「見た目的にカッコ良い」となるとは限らない。 その「思想」に共鳴してくれる仲間だけが、カッコ良い と言ってくれるファッションです。でも、 「外見的にカッコ良い」ことだけを目指すのであれば、 「ライフスタイルの表現」なんていらないんですよね。 そういう人にとって、「ライフスタイル」はあくまで 「あるとなんだか箔がつく」程度のアクセサリー的な ものになる。
Masaoさんも指摘されていますが、 「ライフスタイルの表現」というものは、 ファッションの1つの形式でしかないと私も思います。
ファッションをめぐる4つの文化圏のお話の図を見れば 一目瞭然ですが、「ライフスタイル(オシャレ文化圏)」 以外にも「クリエーション(服飾文化圏)」という 選択肢もあるのです。服装文化圏からオシャレ文化圏に 行かなくても、服飾文化圏に行けばいいのです。 そうすればオタクというライフスタイルを捨てなくても 新境地を切り拓けるのではないでしょうか。 k-d-hideさんの愛するクラシック(定番)とオシャレ 文化圏の特徴である(流行)とは相性が悪いですが、 服飾文化圏ならサブカルチャーと親和性が高いですし。
「ライフスタイル」としての着こなしもいいけど、 「自分」としてのクリエイティブな着こなし。 これも「コスプレ(ライフスタイルが宿っていない着こなし)」 ではない「リアルな着こなし」に繋がるんじゃないのかな、と。 私はそう思いました。

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ある意味理想系ですね。最も自然なスタイルで、芯の通った部分がある。
ただ、例えば音楽に携わっていなかったりという「普通の人」にとってライフスタイルからクリエーションは生まれてこない。
思想は大事です。ただ、その前に服ありきがファッションだと思います。
駄文失礼しました。daleさんのようにファッションシーンのバックグラウンドと呼べる部分に詳しいわけではないので勉強していきたいと思います。
コレクションばっか見てると非日常が日常に、自分のスタイルがそこへ埋没していくのを日々ヒシヒシと感じています。リアルな着こなしか、、、
オシャレ文化圏に起こる問題について
私が考えるに、この問題はオシャレという言葉に「多くの人から見た」という面と、「自分から目指すところの」という面、すなわち、印象的と象徴的という二つの対立する要素をすでに内在しているからだと起こるのだと思います。
脱オタの際、ポール・スミスでもギャルソンでも、着れそうな店に行って揃えてもいいし、ディーゼルのデニムにラルフの白シャツだけでも、サイズがよければ、オシャレな印象を受けると思います。
ただ、象徴的な要素は満たされない。
そこで好きな服だからと言って、ミリタリーなり、ロックなり、バイカーなり、固めて行くと今度は印象の方が悪くなる。
印象と象徴にずれがない人はいいのですが、基本的にオタクな人は、どうしてもずれが大きいのではないでしょうか。
そして秋葉原のオタクだけでなく、ちょいオタな私を含めほとんどの人は、このずれを克服不可能な悩みだと思っているのではないでしょうか。
クリエイティブ問題
そして服飾文化圏も実は同じ問題を抱えるかもしれません。
創作された全ての作品が自己表現と理解の狭間にあるように、服も他人の視線との境界にあるわけで、進むにつれオシャレより難易度が上がった、大きなテーマから逃れられないのかもしれません。
以上、勝手ながら。
限界なんてないです
生まれてこのかた20数年、30年ととりたてて外見に気を使った事のない人間が、あるラインを境にはい脱オタですよなんてのはどだい無理な気がします。
私もオタクなんで気がつく?のですが、急激に目覚めた人ほど熱が冷めるのが早いというか、細かいケアがおざなりになっていくもので、特に首から上なんかは急激に「いわゆるオタク顔」に戻っていく例を多く目撃しています(笑)
やはり人を見る時に強く印象付けられるのは顔(というか頭部分)なので、
そこが伴わない限り「服オタファッションコスプレ君」を脱しきれないのでは。そうなると益々「服と顔のギャップが激しい人」になりコスプレ化していくのではないかと。
もちろん中には巧い事変化する人もいますけどね。
脱オタの基本は変に思われない。無難。無個性であることです。これにライフスタイルを感じることは難しいです。しかし、好みというものは脱オタを完了した後に確実に現れてくるものです。色使いや、k-d-hideさんのようにクラシックな格好が好きであるなど。
ここに個人の特徴が現れてくると思います。これが、お洒落な人のコスプレではなく、自分らしいリアルな着こなしに繋がっていくのではないでしょうか。
『ライフスタイルを感じないファッション=お洒落な人のコスプレ』というのは違うと思います。
その人がどういう職業に就き、どういう生活を送り、
どんな音楽を聴き、どんな趣味を持っているかで
どんなファッションが似合うのかが決まるのではないかと。
まあ、でもこの記事の言いたい事は良く分かります。
私も大学生の頃は本当に酷い格好でした(笑)
親に金借りてまでJMウェストンのローファーと
ラルフローレンの紺ブレ買いに行ったりしてましたから。
時間と人の心はお金では埋められません。
埋めようとする人もいるけどね(笑
まあ考え方は人それぞれでしょう。
あと揶揄されがちなコスプレですが、これはこ
れでハレの日の為の正装・日常から非日常への
演出と衣服の力が端的に示されるので、これ自
体非常に侮りがたい存在だと私は考えてます。
daleさんの分析に、なるほどな、と頷いてしまいました。わたしには「知識」を極めたい気持ちはなくて、「感覚」だけでファッションを楽しいと思うタイプなので、目からウロコでもあり、耳が痛くもあります(苦笑)
k-d-hideさんのお気持ちが痛いほど分かる記事でしたが、「脱オタク」が原点であり目標である以上ジレンマは避けられないのでは?と感じました。その看板を捨てるに足る、新たなテーマに何を選ばれるか、我が事のようにドキドキしてしまいます(^-^;
形式からライフスタイルが生まれるのか、ライフスタイルが表出するのか。どちらでもいいと僕は思っていますが、思想が大切というのには同意です。
>ケミさんへ
印象と象徴にずれですか。なるほど。
そのズレを指摘してくれる第三者がいればいのかもしれませんね^^
>(゚◇゚)さんへ
そのとーり!
好みこそが個性でありリアルである、ということですか?それは僕もそう思います。無難を目指していたら服を好きになっていた、となれば脱オタで理想ですよね。
>masatoさんへ
そうなんですよね。スペック重視といいますか(笑)
>アペリオスさんへ
そのとおりだと思います。k-d-hideさんはもはや脱オタという話ではないですよね。
なるほど。コスプレはそういう考え方もできますね^^
>まちかさんへ
僕の服装は知識で構築されているので、そこに自分はあまりないです。そしてよくダサいと言われます(笑)でもそれはその通りで、右脳ではなく左脳に訴えているんだ!だから右脳派には理解できまい!とか正当化しています(笑)